和歌山県移民の特色

紀北からの北米移民

 明治5年,池田村(現在の那賀郡打田町)三谷の伊達多仲は米国に渡航しています。民間人としての渡米者としては,和歌山県はもとより全国的に先駆をなすものとして注目されます。その後,本多和一郎は紀北の青年に新進の気風を鼓舞すべく,私塾共修学舎を開いて渡米相談所を設け,青年のアメリカ渡航を奨励しました。塾生には,滝本幸吉郎,堂本誉之進,根来源之など,移民して活躍した人物が輩出しています。こうした活動は紀北一円に広がり,人々は進んだ文化と広大なアメリカに心を揺り動かされました。


南紀からのハワイ移民

 南紀からのハワイ移民は漁業で活躍しています。ハワイの原住民が行っていた漁法を取り入れて改良し,本土に逆輸入したのは串本町田並の漁師です。これが後にケンケン漁という鳥の羽を使った疑似餌による独特の漁法として発展しました。


オーストラリアへの移民

 オーストラリアへの本邦移民の大半は和歌山県出身者が占めています。高級ボタンの原料となる白蝶貝の採取のためアラフラ海へ出稼ぎに行ったのが始まりです。潜水作業は過酷ですが,特に紀州人の技術がかわれたのでしょう。採貝は船団を組んで戦後もしばらく続けられました。現地木曜島には,潜水病で亡くなった方々への慰霊碑が建立されています。


三尾のカナダ移民

 日高郡美浜町三尾のカナダ移民は,工野儀兵衛が先覚者となって,また推進者として大いに貢献しています。儀兵衛は横浜からカナダへ単身渡航し,現地フレザー河の鮭をみて移民の将来性に目を付けました。さっそく村の人を呼び寄せました。最初は出稼ぎの形態でしたが,長期移民へと変っていき,現地には三尾村人会が結成され,カナダに第二の三尾村が作られていきました。帰国した人達は洋風の家を建て,生活も洋式で暮らしていたので,三尾はアメリカ村と呼ばれるようになりました。









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